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東京地方裁判所 昭和47年(刑わ)1246号 判決 1972年11月21日

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実の要旨

本件公訴事実は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四六年五月七日午後九時三五分ころ、普通乗用自動車を運転し、東京都渋谷区鉢山町一五番地先道路を鎗崎交差点から上通り四丁目交差点方面に向かい進行中、道路左端でいつたん停止後、転回するに際し、転回の合図をし、徐行しつつ前後左右の交通の安全を確認して転回すべき注意義務があるのに、その合図をしたが、右後方から進行してくる車両の前照灯の光が見えなかつたことから後続車両はないものと軽信し、同方向に対する安全を確認することなく時速約五キロメートルで転回した業務上の過失により、自車を、鎗崎交差点方面から進行してきた中島信子(当時一八年)運転の原動機付自転車に衝突させ、よつて同女に左下腿挫滅創等の傷害を負わせたうえ、同月一六日午前一〇時二五分ころ、同区渋谷二丁目一一番八号渋谷病院において、左下腿創傷の破傷風により死亡さたものである」というのである。

二、当裁判所の判断

当公判廷で取り調べたすべての証拠を総合すると、本件事故発生の経緯は、つぎのとおりであつたと認められる。すなわち、被告人は、大正一二年に乙種免許を、昭和一〇年に甲種免許を各取得し、じ来自動車運転の業務に従事してきた者であるが、昭和四六年五月七日午後九時三五分ころ、普通乗用自動車(トヨタセンチュリー)を運転し、雇主たるロバート・A・ミッチェル夫妻およびその友人二名を乗せて東京都渋谷区鉢山町一五番地先道路(車道部分の巾員14.55メートルで中央線による区分がある。)を鎗崎交差点から上通り四丁目交差点方面に向けて進行中、道路左端に前照灯を点灯したままいつたん停止して、右友人二名を降車させた後、右道路を転回しようとし、右折の方向器を上げて転回の合図をしたうえ、バックミラーで後方の安全を確認したところ後続車両が見当らなかつたので、さらに右窓から顔を出して後方を確認しつつ微速で発進し、進路を右斜前方に向けて約6.2メートル進行したところ、道路左側車線のほぼ中央付近(車両の先端が、中央線からほぼ2.7メートルの地点に達した位置)で、後方から無灯火のまま相当な高速で進行してきた中島信子(当時一八年)運転の原動機付自転車(ホンダリトル以下信子車という。)に自車の右前部を衝突させ、公訴事実記載の経過で同女を死亡させるに至つた(なお、当時、右被害者信子は、何らの運転免許を有していなかつた。)

ところで、検察官は、被告人に、右後方確認義務の懈怠があつたとし、その理由として、(1)信子車は、当時前照灯を点灯して進行していたと考えられるから、被告人の右後方確認により容易に発見できたはずである、(2)かりに同車が当時無灯火であつたとしても、同車は、被告人の右後方確認当時、被告人車の約一七メートル後方に迫つていたはずであり、当時の道路の明暗状況からしても、被告人にとつて視認可能であつた、等の主張をしている。そこで、右(1)、(2)の点につき、順次検討するに

(1)  信子車の前照灯の点灯の有無について

被告人は、捜査当時以来、ほぼ一貫して、転回にあたり右後方を確認したが、有視界内には何ら自動車の前照灯がなかつた旨供述しており、さらに当公判廷において、「第一にバックミラーを見て、左右のミラーを見て、転回にはいると同時に右の窓から首を出しながら右の方を確認したら、車の前照灯も障害もなかつたので、今度は左を見て転回にはいつたとたんにぶつかつたわけです。」との供述をしている。そして、被告人は、その三七年間無事故無違反という経歴の示すとおり、相当慎重な職業運転手であり、当公判廷における供述態度より見ても、その供述する後方確認の方法が事実に反するものとは思われない。そうであるとすると、被告人が、右のような相当入念な後方確認を行ないながら、信子車の存在に気付かなかつた理由は、同車が当時灯火を点灯していなかつたからではないか、との疑問を生ずる。しかも右疑問は、被告人車の同乗車R・A・ミッチェルが、「乗用車がスタートした時、私は後方を見ましたが、その時点で何も乗物は見えませんでした。」旨述べていること、事故の目撃者青柳秀寿が、「ぶつかつた瞬間に感じたんですが、バイクがライトをつけてなかつたと思うんです。」「私は、ぶつかつたときに、単車のライトがついてなかつたという記憶があつた。」「「単車のライトがついてなかつたことは事実だつた」などと述べていること、事故直後、警察官が信子車を点検したところ、方向指示灯、尾灯は点灯したが、前照灯は点灯しなかつたこと等、相当有力な根拠に支えられているのである。検察官は、右青柳が、中島車のライトに気付いていなかつたとしても、そのことから、直ちに同車が無灯火であつたということにはならない旨主張し、るるその理由を述べているが、その指摘にかかる諸点を十分考慮にいれ、慎重に検討しても、少なくとも同車が当時無灯火であつたのではないかとの合理的疑いは、これをさしはさむ余地が残るというべきである。(なお、右の点に関しては、本件起訴状の公訴事実にも、被告人が後続車がないと信じたのは、「右後方から進行してくる車両の前照灯の光が見えなかつた」ためである旨の記載があり、検察官自身、当初は信子車の無灯火であつた事実を前提として訴因を構成していたと考えられる点が注目される。)

(2)  無灯火の信子車の視認可能性等について

本件事故の現場は、国電渋谷駅南西約九〇〇メートル、上通り四丁目交差点から南東約三五〇メートル(いずれも直線距離)の地点で、都道補助二五号線(通称旧山手通り)上であつて、商店街ではなく、事故現場に直近の街路灯が一個故障のため点灯していなかつたこと、街路樹が繁茂して他の街路灯(四〇〇ワット)の光を妨げていたこと等の理由もあつて、現場はかなり暗かつたと認められる。しかして、当夜の見通しの状況を確実に把握するに足りる証拠は存在しないが、その状況は、当裁判所が実施した検証の際よりも明るくはなかつたと考えるのが相当であるところ(右検証は、事故時と同様、前記街路灯一個を消灯して行なつたものであるが、検証の立会人青柳秀寿は「街路樹の枝葉はもつと繁つていて、今夜の状態よりもつと暗かつたと思う」旨説明し、被告人自身も、当公判廷において、同趣旨の供述をしている。)、右検証の結果を記載した当裁判所の検証調書によれば、被告人車から約三〇メートル後方に位置する無灯火の原付自転車に乗つた人物は、他車のライトがない場合「視力を十分集中すれば薄暗い感じで」ようやく視認できるが、約四〇メートル離れた場合には、右の視認はさらに困難となり、約五〇メートル離れた場合には、ほとんど視認不可能に近い状態であることがわかる。(なお、司法警察員作成の昭和四七年二月一六日付実況見分調書には、「ルームミラーによる後方視認距離約五三メートル、肉眼による後方視認距離約七八メートル」の記載があるが、右実況見分は、前記街路灯一個を消灯せずに行なつたものであるうえ、どの程度の見え方をもつて「視認可能」と称しているのかが必ずしも明らかでないので、これに、当裁判所の実施した結果を左右するような重要な証拠価値を認めることはできない。)

つぎに、被告人が後方確認をした際、信子車がすでにどの程度まで被告人車に接近していたのかとの点であるが、この点もまた、証拠上その確定がきわめて困難である。検察官は、信子車の速度は、せいぜい時速三〇キロメートル程度であり、被告人が右後方確認を終つてから衝突までの時間は約二秒と考えられるから、被告人が右後方を確認していた当時、信子車はすでにに被告人車の後方約一七メートルに接近していたはずであるという。しかしながら、信子車の当時の速度が、時速三〇キロメートル程度であつたとする点に関する検察官の主張は、まつたくの推測の域を出ないものであつて、同車が、出力最高の時速五〇キロメートルで進行していた可能性もまた否定できないし(被害者は、一八才の女性ではあるが、無免許で、しかも、夜間、無灯火の無謀運転をしていた疑いのあることからすれば、右のような事態もありえないことではない。)、被告人が右後方確認を終つてから衝突までの時間は、いま少し長かつた可能性もある(被告人は、当公判廷において、右の時間は、二、三秒であつたという。そして、当裁判所の検証の際、被告人に事故当時の運転を再現させたところ、発進後衝突地点に達するまでに約九秒を要したことからすれば、右後方確認を終つてから衝突までの時間が三秒程度であつたとしても、さして不自然ではない。検察官は、被告人が右のような低速で転回を開始したということ自体不自然で措信できない旨主張するが、被告人が、平生からきわめて慎重な運転をする模範的な運転手であつたことからすれば、検証の際の被告人の実演をもつて、不自然不合理な運転方法であると断ずることはできない。)そうすると、被告人が、右後方確認を終つた当時の両車の距離は、検察官主張のように、約一七メートルであつたと断定することは困難であり少なくとも、三、四〇メートル存在したとの可能性を否定することができない。

ところで、如上認定の事実関係を前提として考察すれば、本件において被告人に、検察官の主張するような後方確認義務の懈怠があつたとはとうてい考えられないのである。もとより、「車両は、他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるとき」は、転回してはならず(道路交通法二五条の二、一項)、転回にあたつては、後方の安全確認に十分意を用いる必要のあることは、論をまたないところであるけれども、夜間の道路で転回しようとする自動車の運転車は、適式な転回の合図をして転回の態勢に入つた以上は、原則として、後続車の前照灯の有無によつてその安全確認を行なえば足り、それ以上に、法規に違反し夜間前照灯を点灯しないで進行してくる後続車両のありうることまで予想して入念な後方確認を行なう必要はないと解されるのであつて、無灯火車両の見落しの点が問題となりうるのは、道路が明かるく、後続車両の位置が接近していて、無灯火ではあつても、転回車両から容易にこれを発見することが可能である等特別の事情が認められる場合に限られると解するのが相当である。本件についてこれを見るに、被告人は、前記のとおり、適式な転回の合図をした後、時速二、三キロメートルの微速で発進し、徐々に道路中央に寄りつつ窓から首を出して右後方を確認したが、後続の原付自転車が無灯火であり、しかも、道路が暗くて視界がよくきかなかつたため、これを発見することができないまま、左前方の確認のため視線を前に戻した直後、右後方から被告人車の右側道路中央線寄りを、相当の高速で追い越そうとした後続車に自車を衝突させたということになるのであるから前記説示の趣旨に照らし、被告人の右後方確認は欠けるところがあつたということはできない。

三、結論

以上のとおりであつて、本件訴因にかかる公訴事実は、その証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。 (木谷明)

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